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浦和地方裁判所 昭和35年(行)1号 判決 1963年1月30日

原告

飯塚堅一 ほか三名

被告

埼玉県

主文

原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを十分し、その七を原告飯塚の負担とし、その三をその余の原告ら平等負担とする。

事実

第一、当時者の求める裁判

一、原告ら。

(一)  原告飯塚との間において、原告飯塚が埼玉県立川口工業高等学校教諭の身分を有することを確認する。

(二)  被告は、原告飯塚に対し金二七、九四四円

原告山本に対し金 二、〇五五円

原告米山に対し金 一、八一七円

原告青木に対し金 一、二二二円

及び右各金員に対する昭和三五年二月四日から完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに右(二)(三)につき仮執行の宣言

二、被告

(一)  本案前の申立

原告らの訴は、いずれもこれを却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

(二)  本案についての申立

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、原告らの請求原因

一、原告飯塚の身分確認請求

(一)  原告飯塚は、昭和二七年四月一日以来埼玉県立川口工業高等学校教諭の身分を有するものである。

(二)  被告は、昭和三五年一月一四日付を以て同原告が地方公務員法(以下地公法と略称)第二九条により懲戒処分を受けたと主張する。しかし、同原告はかかる処分を受けたことはない。

(三)  よつて、同原告は被告に対して、同原告が埼玉県立立川口工業高等学校教諭の身分を有することの確認を求める。

二、原告らの給与等支払請求

(一)  原告飯塚は埼玉県立川口工業高等学校教諭、原告山本及び原告米山は同県立松山高等学校教諭、原告青木は与野市立西中学校教諭としてそれぞれ右の各学校に勤務している。

(二)  被告は、県立学校職員については県立学校の設置者として、又市町村立学校職員については市町村立学校職員給与負担法により、給与の支払義務を負つている。

(三)  原告らは、それぞれの勤務校において誠実に勤務し、昭和三四年一二月現在において給与条例に基き、原告飯塚は二等級一四号給で本俸二三、九二〇円、暫定手当二、二四〇円、産業教育手当(本俸の七%)一、六七四円を、原告山本は二等級一七号給で本俸二七、〇六〇円、扶養手当一、六〇〇円を原告米山は二等級一四号給で本俸二三、九二〇円、扶養手当一、四〇〇円、夜勤手当九五六円を、原告青木は二等級一八号給で本俸二四、四四〇円扶養手当一、六〇〇円、暫定手当一、一四〇円を、それぞれ支給されていたものである。

(四)  しかるに、昭和三五年一月分の給与の支払日である同月二一日に、原告飯塚は請求しても全く支払を受けられず、原告山本は二六、六〇五円を、原告米山は二四、四五九円を、原告青木は二五、九五八円を、それぞれ支給されたに過ぎなかつた。

(五)  原告飯塚は、埼玉県立川口工業高等学校長より昭和三四年一二月一六日校外学生補導を命ぜられ、同日午後五時より同一〇時三〇分まで出張してその職務を遂行したので、当然職員の旅費に関する条例(昭和二七年四月一日埼玉県条例第二〇号)第二六条第一項により、日当一一〇円を受ける権利を有するものであり、直ちに請求したが、被告は未だに支払わない。

(六)  よつて、被告に対し、原告飯塚は給与及び日当の合計二七、九四四円、原告山本は未支給の給与二、〇五五円、原告米山は同じく一、八一七円、原告青木は同じく一、二二二円及びそれぞれ右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和三五年二月四日から完済まで各々民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告の本案前の抗弁

一、原告飯塚の身分確認の訴について、被告は当事者適格を有しない。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下地方教育行政法と略称)第三四条以下の規定によれば、県立学校の教諭の任免その他の身分取扱に関する事項は県教育委員会の権限に属するのであつて、被告埼玉県にはこれらの権限はない。

原告飯塚は「埼玉県立学校の教諭たる身分の存在」の確認を求めているが、かかる請求は教諭の任免権を有する県教育委員会を被告とすべきであつて、何らの権限のない被告埼玉県は、被告としての当事者適格を有しない。従つて、被告埼玉県に対する原告飯塚の身分確認の訴は却下されるべきである。

二、原告らの給与支払の訴についても、被告は当事者適格を有しない。地方自治法第一四九条第四号、地方教育行政法第二四条以下の規定によれば、原告らの主張する学校職員に対する諸給与の支払義務者は地方公共団体の長すなわち埼玉県知事であつて、被告埼玉県ではない。市町村立学校職員給与負担法によつて県は市町村立学校の職員の諸給与の負担者となる場合においても、県が右諸給与の支払義務者となるのではない。のみならず、原告青木に関しては、義務教育費国庫負担法第二条第一号によつて諸給与の負担者は結局は国と県の両者とされているから、同原告が被告埼玉県のみを唯一の負担者としているのは失当である。

従つて、被告埼玉県に対する原告らの諸給与支払の訴は却下されるべきである。

第四、請求原因に対する被告の答弁及び抗弁

一、原告飯塚の身分確認請求について

(答弁)

(一) 原告飯塚が次の(二)で述べる懲戒免職処分を受ける迄、埼玉県立川口工業高等学校教諭の身分を有していたことは認める。

(抗弁)

(二) しかしながら、同原告は昭和三五年一月一四日付を以て地公法第二九条により懲戒免職処分を受け、右の処分通知同説明書は、同日右川口工高において、処分者たる埼玉県教育委員会の命により埼玉県教育局渡辺澄夫主事によつて同原告に手交されたところ、同原告は受領を拒絶したのである。

ところで、相手方の受領を要する行政行為である懲戒処分は、懲戒権者が懲戒処分を決定したときに行政行為として成立し、ただ相手方に到達して初めて効力を生ずるのであるが、相手方に対する到達の要件として相手方が了知し得る状態におくことを以て足り、相手方が現実にこれを受領し了知することを必要としない。

従つて、原告飯塚に対する右懲戒免職処分は、前同日発効したものというべきである。

(三) よつて、原告飯塚の身分確認の請求は失当として棄却されるべきである。

二、原告らの給与等支払請求について

(答弁)

(一) 原告飯塚が埼玉県立川口工業高等学校教諭であることは争う(その詳細な主張は前記で述へたとおり)。原告山本及び原告米山が埼玉県立松山高等学校教諭として、原告青木が与野市立西中学校教諭としてそれぞれ右各学校に勤務していることは認める。

(二) 被告が給与の支払義務者であることは否認する。支払義務者は埼玉県知事である。

(三) 昭和三四年一二月現在における原告らの受ける給与額の標準が原告らの主張どおりであることは認める。

(四) 昭和三五年一月二一日の原告らに対する給与の支給が原告らの主張どおりであることも認める。

(五) 原告飯塚が昭和三四年一二月一六日校外補導を命ぜられ、その職務を遂行したとの点は否認する。同原告は、後述((六)項)のように、既に同年一二月一四日に停職三ケ月の懲戒処分を受け翌一五日その旨の通知を受けて、右停職の効果が発生したのであるから、同月一六日に県立川口工業高等学校長から校外補導を命ぜられる筈がない。

(抗弁)

(六) 原告飯塚は、地公法第二九条により、(イ)昭和三四年一二月一四日付を以て同月一六日から三ケ月間の停職処分、(ロ)昭和三五年一月一四日付を以て懲戒免職処分を受けたものである。(イ)の処分通知同説明書は昭和三四年一二月一五日同原告の住所に書留郵便にて配達されたが不在にて受領されず、以来連日不在のため、同月二一日川口工業高校において職員会議の席上同校校長から同原告に手交され、(ロ)の処分通知説明書は前述のとおり(第四の一の(三))昭和三五年一月一四日埼玉県教育局渡辺主事から同原告に手交されたが、同原告は受取を拒否したものである。

原告山本、同米山、同青木は、何れも地公法第二九条により、昭和三四年一二月一四日付を以て同月一六日から二ケ月間毎月の給料の二〇分の一の減給処分を受けたものである。右の原告三名に対する処分通知は何れも昭和三四年一二月一五日各原告の住所に書留郵便を以て配達されたが、右の原告三名は何れも受取を拒否した。

書留郵便による右の処分通知は何れも配達せられた日を以て被処分者である原告らの了知し得べき状態におかれたものというべきである。

原告飯塚に対する(イ)の通知は配達された日が仮に了知し得べき日にならないとしても、手交の日を以て通知は完了したことになる。

職員の懲戒及び効果に関する条例(昭和二六年八月一三日埼玉県条例第五二号)第二条には、「戒告減給停職又は懲戒処分としての免職の処分はその旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と規定されているか、その立法趣旨は、右のような処分については処分の程度及び理由たる事実を処分者に了知させることにあるのであつて、その方法としては処分の内容を文書に記載してこれを本人に交付することを規定したもので、交付としては通常の場合には処分辞令の直接の手交を意味するが、常に直接の手交でなければならないものではないと解するのが相当である。殊に、原告ら右の各懲戒処分に際しては、原告らは訴外埼玉県教育委員会が処分を行うことを察知し、当時原告らの属する埼玉県教職員組合及び埼玉県高等学校教職員組合の闘争態勢はまことに激しいものでありその闘争の一環として処分辞令の受領拒否が決定されていたのであるから、右教育委員会においては当時の情勢として原告らに対し各処分辞令を交付するについては、郵送、職員会議の席上での手交、前記渡辺澄夫による交付という異例の方法をとる以外に交付の方法がなかつたのである。

なお、行政行為の解釈においても信義誠実の原則が適用されるべきことはいうまでもない。しかし、原告飯塚は予め処分書の郵送の受領拒否を策して昭和三四年一二月一四日から数日間は住居に殆ど帰宅せず、校長が辞令を交付するために校長室へ来るべく告げてもこれに応じなかつたし、職員会議の席上校長から辞令が手交されても手で払い除けるが如き態度であつたのであり、同原告こそ誠実に辞令書を受領する意思がなかつたのであつて、さればこそ、異例の交付方法をとらざるを得なくなつたのである。従つて、右交付が信義則に反するものという原告らの主張は失当である。

要するに、原告らに対する各懲戒処分は何れも効力を生じたものといわざるを得ない。

(七) なお、原告山本、同米山についての計数誤差調整は次のとおりである。

(イ) 原告山本の昭和三五年一月及び二月分の給与(昭和三四年一二月分は一二月一〇日支給済のため)は前記減給分月額給料の二〇分の一を控除した二六、六〇五円を支給し、二月分において六四九円を加え二七、九五六円を支給(二月分は受領拒否のため三月一一日全額供託)したがなお二ケ月分合計において金五三円が支給不足になるので、昭和三五年四月二一日同原告に右不足金を支払つた。従つて、現在支給不足はない。

(ロ) 原告米山の昭和三五年一月及び二月分の給与(前年一二月分は原告米山と同様)は前記減給分月額給料の二〇分の一を控除し二五、〇八〇円宛を支給すべきところ、一月分において六二一円を余分に控除し二四、四五九円を支給し二月分において五七四円を加えた二五、六五四円を支給(二月分は受領拒否のため三月一一日全額供託)したがなお二ケ月分合計において金四七円が支給不足になるので昭和三五年四月二一日同原告に各不足金を支払つたので現在支給不足はない。

(ハ) 仮に原告飯塚に対する前記停職処分の効力が、昭和三四年一二月一五日には生じないで処分書を手交した同月二一日に生じたとしても、同原告の校外補導は川口市補導会の委嘱に基くもので本来の勤務外の行為であるから、慣例上出張簿に記載されるが、右補導は職員の旅費に関する条例(昭和二七年四月一日埼玉県条例第二〇号)第一条の旅費の支給を受けるべき「公務」に該当しない。なお、仮に右校外補導が同条例の「公務」であり在勤地内旅費支給の対象になるものであるとしても、原告飯塚は既に川口市補導会から二〇〇円の補導手当(実質的には右条例第六条の旅費に当る)の支給を受けているので、同条例第四〇条第一項及び右規定に基く学校職員の旅費調整についてなされた昭和三三年四月二五日付三三総発第八九号埼玉県教育局通達の第八号の「前各号以外の旅費で正規の額を支給することが妥当でないと認める場合」に該当する。従つて、既に条例所定の金額以上の金額の支給を受けている原告飯塚に対し更に条例による旅費の支給をすることはできない。

(結論)

(九) 原告飯塚は昭和三四年一二月一四日付で同月一六日から三ケ月間の停職処分を受け、同月一五日にその旨通知され、仮に右通知の効果が認められないとしても同月二一日に通知を受け、更に昭和三五年一月一四日付を以て懲戒免職処分を受け同日その旨通知されたのであるから、昭和三五年一月分の給与の支払及び身分確認を求める同原告の請求は失当であり、又校外補導手当については、第一次的には停職処分後であるから適法な校外補導とはいえないことを理由に、第二次的に仮に昭和三四年一二月一六日当時停職処分の効力が生じていないので適法な校外補導であるとしても、右校外補導は前記条例にいう「公務」に該当せず又、仮に「公務」に該当するとしても既に川口市補導会から二〇〇円を受領しているから重ねて被告から支払う義務はないことを理由に右手当の請求も失当として棄却されるべきである。

又、原告山本、同米山、同青木は、いずれも昭和三四年一月一四日付を以て同月一六日から二ケ月間毎月給料(本俸)の二〇分の一の減給処分を受けたのであるから、減給分について被告に支払義務はなく、原告山本、同米山に対して不当に控除した分については既に調整済であつて、右の原告三名に対して現在支給不足はない。よつて、右原告三名の昭和三五年一月分の給与残額の支払請求はいずれも失当として棄却されるべきである。

第五、被告の主張に対する原告らの反駁

一、本案前の抗弁について。

(一)  原告飯塚の身分確認の訴について

身分存在確認の訴は、公法上の権利義務に関する純然たる当事者訴訟であるから、被告は権利義務の主体でなければならない。この点で行政処分の取消或いは無効確認訴訟の場合と異なり、被告は当該行政処分を行う権限を有する処分庁ではない。ところで、原告飯塚は埼玉県立高校の教諭であり埼玉県の公務員である。従つて、その身分確認の訴の被告は、権利主体である埼玉県であつて、処分庁である埼玉県教育委員会ではない。

(二)  原告らの給与等支払の訴について。

地方自治法第一四九条第四号、地方教育行政法第二四条以下の規定は、行政権内部における行政機関の権限の分配を定めたものであつて、給与請求権その他職員の有する公法上の権利関係は職員と権利主体である県との間に発生しているのである。従つて、給与請求の相手方は県であつて、支払権限を有する行政機関たる県知事ではない。

二、本案について。

(一)  埼玉県教育委員会内部において原告らについて被告主張の各懲戒処分がなされたことは知らない。右の各懲戒処分の通知がなされたことは全部否認する。

すなわち、前記職員の懲戒及び効果に関する条例第二条には、懲戒処分はその旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない旨規定されており、同条にいう「交付」とは処分辞令の直接の手交を意味すると解すべきであつて、相手方の了知し得べき状態にあれば足りるものではない。地公法第二七ないし第二九条、第四九条ないし第五一条は職員の身分を極めて厚く保障しているのであつて、このような地公法の趣旨に鑑みれば前記条例にいう「交付」は、校長等による直接の手交と解すべきである。

原告山本、同米山、同青木には、被告主張の各懲戒処分についてその旨を記載した書面は交付されていない。

更に、交付は信義誠実の原則に即して行わなければならない。公務員の勤務関係は継続的法律関係であり、しかも教育基本第六条第二項によつてその地位と待遇は厚く保護されるべき教員にあつては、全ての面においてその社会的地位に応わしい処遇を受けなければならないのであり、辞令書の交付は校長室において手交する等信義則に即した方法でなされければならない。原告飯塚に対する懲戒処分の通知書の手交の点は何れも否認するが、仮に手交の事実があつたとしても昭和三四年一二月一四日付の停職処分については職員会議の席上での交付であり、昭和三五年一月一四日付の懲戒免職処分については教室入口における混乱状態のもとにおける交付であつて、かかる教育者として人格を無視した交付の如きは、前記条例第二条の全く予想しない方法であつて信義則にも反するものである。

なお、組合運動の一環として、処分書が交付された場合には一括して返上する方針がとられていたことはあるが、予め被処分者らが処分書の受領を拒否することを決定していたことは否認する。

要するに、原告らに対する被告主張の懲戒処分はいずれも不成立と云わざるを得ない。

(二)  昭和三五年四月二一日、原告山本が五三円を、原告米山が四七円を、それぞれ受領したことは認める。

(三)  原告飯塚が川口市補導会の委嘱を受けたことは否認する。

なお、二〇〇円受領の事実は認めるが、これは公務として受領したのではない。

第六、証拠

一、原告ら。

証人青木光、同森本さく、同大久保浩、同桑久保正志、同関口達志、同沖松信夫、同山下楠一の各証言及び原告本人飯塚堅一、同山本茂、同米山一郎、同青木幸寿の各尋問の結果を援用し、乙第七、第八号証の各四、五、第九号証の五、第一〇号証の一ないし三第一一号証、第一四号証、第一五号証の一ないし五、第一六号証の一、二、第一七号証の一ないし五第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし九、第二〇号証、第二一号証の一、二、第二二ないし第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇号証の成立を認め、(そのうち第一五号証の三について「内金として」との記載を原告山本のため、第一五号証の五について「内金として」との記載を原告米山のためそれぞぞれ利益に援用し(同第九号証の四については印影が原告本人青木幸寿のものであることは認めるがその余を否認し、同第一号証の三ないし六、第七ないし第九号証の各三については郵便官署のスタンプの部分の成立のみを認めその余の部分は知らない、その余の乙号各証の成立は知らない、と述べた。

二、被告

乙第一号証の一ないし六、第二、第三号証、第四号証の一ないし三、第五号証の一ないし四、第六号証の一、二、第七ないし第九号証の各一ないし五、第一〇号証の一ないし三、第一一号証、第一二号証の一ないし三、第一三、第一四号証、第一五号証の一ないし五、第一六号証の一、二、第一七号証の一ないし五、第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし九、第二〇号証、第二一号証の一二、第二二号ないし第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇号証を提出し、証人田中好之、同中谷幸次郎、同堀越数夫、同高山忠太郎、同榎本力蔵、同小倉光安、同青木要の各証言を援用した。

理由

第一、先づ被告の本案前の抗弁について判断する。

一、原告飯塚の身分確認の訴について

原告飯塚は、同原告が埼玉県立高等学校の教諭、すあわち埼玉県の公務員であることの確認を求めているものであるが、かかる身分存在確認の訴は、公法上の権利関係に関する純然たる当事者訴訟であるから、被告適格を有するのは権利義務の主体でなければならない。この点において、抗告訴訟や機関訴訟の場合と異るのである。ところで、県の公務員たる身分関係についての権利義務の主体は被告埼玉県であつて、教育委員会は県の執行機関(地方自治法第一八〇条の五)であるに止まる。

従つて、身分存在確認の訴の被告適格を有するのは県であるからこれを被告とする原告飯塚の身分確認の訴は違法である。

二、原告らの給与等支払の訴について

(一)  一般に給付の訴において正当な当事者たる者は、その給付請求権についての請求権者と支払義務者である。被告は、地方自治法第一四九条第四号、地方教育行政法第二四条以下の規定により原告らの諸給与の支払義務は地方公共団体の長すなわち埼玉県知事であつて被告埼玉県ではない、と主張するのであるが、地方自治法第一四九条第四号及び地方教育行政法第二四条等の規定は、地方公共団体の事務を管理執行する地方公共団体の長の執行機関としての権限を具体的に例示したものであつて、地方公共団体の長に地方公共団体或いは教育委員会の所掌にかかる事項に関する収入及び支出について出納長又は収入役に対して命令する権限があるからと云つて、地方公共団体成いは教育委員会の所掌にかかる事項に関する収入及び支出についての債権債務に関して地方公共団体の長がその実体法上の請求権者及び支払義務者となるものでないことは勿論、その管理処分権を有するものと解することもできない。すなわち、被告は県立学校職員については県立学校の設置者として市町村立学校職員については市町村立学校職員給与負担法第一条により、諸給与の支払義務を負つているのである。従つて、埼玉県知事が、原告らの給与等支払請求の被告適格を有するという被告の主張は理由がない。

(二)  次に、義務教育費国庫負担法は全国各地の義務教育諸学校の教職員の給与が、各都道府県の財政能力により著しい格差が生ずることを防ぐために、右職員らの給与に関する経費の実支出額の二分の一を国と都道府県との間において国庫補助金として国が負担することにして、間接的に右職員らの待遇の均衡化のための財政的措置をはかつたものであり、国が右職員らに対する直接の給与支払義務者となる趣旨ではない。すなわち、都道府県が右職員らについて教職員給与全額について支払義務を負うのである。

(三)  以上の理由により、給与等の支払を求める訴についても被告適格を有するのは県であるから、これを被告とする原告らの給与支払の訴も適法である。

三、要するに、被告の本案前の抗弁は、いずれも理由がない。

第二、そこで本案について判断する。

一、先ず、原告飯塚の給与等支払請求及び身分確認請求について判断する。

(一)  原告飯塚が昭和二七年四月一日に埼玉県立川口工業高等学校教諭に任命されたことは当事者間に争がない。

(二)  被告が県立学校の職員について給与の支払義務者であることは、第一の二において述べたとおりである。

(三)  原告飯塚が昭和三四年一二月当時、二等級一四号給で一ケ月に本俸及び諸手当の合計二七、八三四円を支給されていたものであること、及び同原告が昭和三五年一月分の給与を全く支給されなかつたことは当事者間に争がない。

(四)  被告は、右のように原告飯塚に対して給与を支払わなかつたのは、同原告は地公法第二九条により、昭和三四年一二月一四日付を以て同月一六日から三ケ月間の停職処分に、昭和三五年一月一四日付を以て懲戒免職処分に処せられたからである、と主張するので、右の各懲戒処分の成否及びその効力について判断する。

(イ) 昭和三四年一二月一四日付の停職処分について

証人田中好之、同中谷幸次郎の各証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証の一、二によれば、昭和三四年一二月一四日、埼玉県教育委員会において、原告飯塚を地公法第二九条第一項により、昭和三四年一二月一六日から昭和三五年二月一五日まで三ケ月間の停職処分にしたことが認められる。右教育委員会における右の決定によつて懲戒処分は行政行為として成立したものと解すべきであるが、懲戒処分の如き相手方に通達することを要する行政行為にあつては、行政行為が相手方に到達して初めてその効力を生ずるのである。

而して、その到達の方法として職員の懲戒の手続及び効果に関する条例(昭和二六年八月一三日埼玉県条例第五二号)第二条は、「戒告、減給、停職又は懲戒処分としての免職の処分は、その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と規定している。(なお、国家公務員について、人事院規則一二〇、第五条第一項は「懲戒処分は、職員に文書を交付して行わなければならない。」と規定している。)原告らは、右条例にいう「交付」は厳格に解釈されるべきであつて「直接の手交」を意味し、かかる直接の手交がない以上、懲戒処分の効力は生じないのみならず成立すらしない、と主張する。しかしながら、右人事院規則第五条第二項が、当該文書を受けるべき者の所在を知ることができない場合には官報への掲載によつて交付に替えることができるものと規定していることからもうかがわれるように、直接の手交が懲戒処分の効力発生の絶対的要件であると解すべきではない。懲戒処分には文書の交付が必要であると規定する右条例(及び人事院規則)の立法趣旨は、かかる処分の程度及び内容を明確に被処分者に了知させることにあるから、右にいう「交付」とは直接の手交には限らず「文書を被処分者に到達せしめること」であると解するのが相当である。のみならず被処分者が文書の受領を回避する等の特別の事情が存する場合には文書を被処分者に交付しなくても被処分者の従前の勤務場所に懲戒処分がなされた旨を掲示する等の方法を講ずることによつて懲戒処分は効力を生ずるものと解するのが相当である(大判、大正一一年六月二二日新聞二〇三六号五頁参照。)飜つて、原告飯塚に対する右停職処分の交付について判断する。郵便官署スタンプの部分については成立に争がなく且つ公文書であるから真正に成立したものと認められる乙第一号証の四ないし六及び証人森本さくの証言によれば、右停職処分についての処分書と説明書は、書留郵便として昭和三四年一二月一五日以後連日に亘つて同原告方に配達されたがその都度同原告が不在であつたため受領されず昭和三五年一月一一日についに差出人に返戻されるに至つたことが認められる。従つて右の郵送によつて処分書の交付があつたものということはできない。そこで、昭和三四年一二月二一日の職員会議の席上で川口工業高等学校長高山忠太郎から原告飯塚に対して処分書が手交されたか否かについて按ずるに、証人高山忠太郎の証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証、証人榎本力蔵の証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第三号証、第四号証の一ないし三、及び証人田中好之、同中谷幸次郎の各証言によれば、昭和三四年一二月二一日午後一時四〇分頃、同校校長室において開催された職員会議の席上、同校校長高山忠太郎が原告飯塚の席へ赴き処分書が届いているので渡す旨を告げて右停職処分の処分書を差し出したところ、同原告は受領を拒否したことが認められ、これに反する証人大久保浩、同桑久保正志同関口達志の各証言及び原告飯塚堅一本人尋問の結果は措信できないし、右認定事実を覆すに足る証拠はない。

右のように校長高山忠太郎から原告飯塚に対し右停職処分の処分書が差し出されたのであるから、同原告においてその受領を拒絶しても、同原告に処分書は到達し、その内容を了知し得る状態におかれたのであり、従つて前記条例第二条にいわゆる「交付」がなされたものと解するのが相当である。ところで、原告らは、処分書を職員会議の席上で交付するが如きは、信義誠実の原則に違反するものであると主張するので按ずるに、信義誠実の原則が私法の分野においてのみならず、公法の分野においての妥当すべき原則であることはいうまでもないところである。ところで、教員の社会的地位、懲戒処分の被処分者に与える重大な影響に鑑みれば、教員の懲戒処分については、校長、教頭等の責任者から、校長室等において厳粛に被処分者に直接手交するのが妥当な方法であり、従前からの慣行上もかかる交付方法がとられていることは公知の事実である。そこで。昭和三四年一二月二一日の職員会議の席上における処分書の交付は、交付方法として妥当を欠くものではあるけれども、未だこれを以て信義則に反し右停職処分は不成立であるとか無効である、と言うことはできない。従つて職員会議の席上における右の交付を以て、同原告に対する停職処分は効力を生じたものと解するのが相当である。

(ロ) 昭和三五年一月一四日付の懲戒免職処分について、

前記証人田中好之、同中谷幸次郎の各証言によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証の一、二、によれば昭和三五年一月一四日埼玉県教育委員会において、原告飯塚を地方公務員法第二九条第一項により懲戒免職処分にしたことが認められる。而して、証人小倉光安、前記証人榎本力蔵の各証言によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証の四、証人堀越数夫の証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第六号証の一、二並びに前記証人田中好之、同中谷幸次郎の各証言を総合すれは、昭和三五年一月一四日、埼玉県教育局学務課小中学校係長堀越数夫、同局同課管理主事渡辺澄夫、同局秘書課主事福島翁の三名が埼玉県立川口工業高等学校に赴き、午前一〇時四〇分頃、同校本校舎階上東端六番教室出入口際の廊下において、原告飯塚が第二時限の授業を終えて教室から廊下に出た際、右渡辺澄夫が同原告に「懲戒免職の処分書を交付します」と言つて処分書を手渡そうとしたが、同原告はこれを拒絶したものであることが認められる。右の事実は、前記条例第一条の「交付」に該当する。ところで、これまた、極めて異例な交付方法であると言わざるを得ないけれども、右の交付が信義則に違反するが故に懲戒処分が不成立或いは無効であると言うことはできない。従つて同原告に対する懲戒免職処分を無効と解することはできない。

(ハ) 右のように、原告飯塚に対しては停職処分及び懲戒処分がなされ、その効力が生じているのであるから、被告が同原告に昭和三五年一月分の給与を支給しなかつたのは正当であつて、その支払を求める同原告の請求は失当である。又、右懲戒免職処分の結果、同原告は川口工業高等学校教諭たる身分を喪失したのであるから、身分確認の請求も失当である。

五、前記証人小倉光安、同榎本力蔵の各証言及び原告飯塚堅一本人尋問の結果(一部)によれば昭和三四年一二月一六日同原告が川口市で酉の市が開催された際校外補導を行なつたことが認められるか、右の各証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証の一、二によれば、右校外補導は川口市学校補導会の依嘱によつて行われるものであり、同補導会は独自の収入(川口市内の小学校児童は年間一人当り三円、中学校及び高等学校生徒は年間一人当り五円)を有し独自の予算を組むのであつてその内から補導手当が支給せられるものであることが認められるのであつて、右のような川口市学校補導会の性格に鑑みれは、右校外補導は、職員の旅費に関する条例(昭和二七年四月一日埼玉県条例第二〇号)第一条の「公務」に該当しないものと解するのが相当であり、従つて、かかる校外補導については被告は、同条例第六条にいう「旅費」(日当を含む)を支払う義務はない。それ故、その余の点について判断するまでもなく、原告飯塚の日当一一〇円の支払を求める請求は失当である。

二、次に、原告山本、同米山、同青木の給与支払請求について判断する。

(一)  原告山本及び原告米山が埼玉県松山高等学校教諭として、原告青木が与野市立西中学校教諭として、それぞれ右各学校に勤務していることは当事者間に争がない。

(二)  被告が、右原告三名についての給与の支払義務者であることは、第一の二において述べたとおりである。

(三)  昭和三四年一二月現在において、原告山本は二等級一七号給で本俸二七、〇六〇円、扶養手当一、六〇〇円計二八、六六〇円を、原告米山は二等級一四号給で本俸二三、九二〇円、扶養手当一、四〇〇円、夜勤手当九五六円計二六、二七六円を、原告青木は二等級一八号給で本俸二四、四四〇円、扶養手当、一、六〇〇円、暫定手当一、一四〇円計二七、一八〇円を、それぞれ支給されていたものであること、しかるに昭和三五年一月分の給与の支払日たる同月二一日に、原告山本は二六、六〇五円を、原告米山は二四、四五九円を、原告青木は二五、九五八円をそれぞれ支給されたに過ぎなかつたことは当事者間に争がない。

(四)  被告は、右のように右原告三名に対して減額支給がなされたのは、同原告らは、いずれも、地公法第二九条により昭和三四年一二月一二月一六日付を以て同月一六日から二ケ月間毎月給料(本俸)の二〇分の一の減給処分を受けたものであるからである、と主張するので、右の各懲戒処分の存否及びその効力について判断する。

証人田中好之、同中谷幸次郎、同堀越数夫の各証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第七ないし第九号証の各一、二によれば、昭和三四年一二月一四日、埼玉県教育委員会において、原告山本、同米山、同青木をそれぞれ地公法第二九条第一項により給料月額二〇分の一に相当する額を昭和三四年一二月一六から昭和三五年二月一五日まで二ケ月間減給する旨の処分をしたことが認められる。ところで、成立に争のない乙第七、第八号証の各四、五、第九号証の五、第九号証の五、前記証人青木光安の証言及び同証言によつて同証人が作成したものと認められる乙第九号証の四、並びに前記証人田中好之、同中谷幸次郎、同堀越数夫の各証言によれば、右の処分通知書及び処分説明書は各原告に同月一五日に書留郵便によつて配達されたがいずれも受領を拒絶されたものであることが認められる。かかる場合においても、前記職員の懲戒の手続及び効果に関する条例第二条の「交付」に該当することは、一の(四)において詳述したとおりである。ところでこのような交付方法は懲戒処分書の交付として妥当ではないが、未だこれを以て信義則に反するものということはできない。それ故、昭和三四年一二月一五日に、右の原告三名についていずれも減給処分の効力が生じたものといわねばならない。

(五)  ところで原告山本及び原告米山が昭和三五年一月二一日に受領した金額は当事者間に争がないが、原告山本は七〇二円を、原告米山は六二二円を余分に控除されていることは計算上明らかである。そこで、計数誤差調整の点について判断する。前記証人中谷幸次郎の証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一二号証の一ないし三、成立に争のない同一七号証の一ないし四、同一九号証の一ないし九によれば、原告山本に対しては、昭和三五年二月分の給与の支払に際して六四九円を加えた二七、九五六円を支給したが受領を拒否されたため同年三月一一日に供託したこと、原告米山に対しては、同じく二月分において五七四円を加えた二五、六五四円を支給したが受領を拒否されたため同年三月一一日に供託したことが認められる。しかし、なお、原告山本については五三円、原告米山については四七円が支給不足であることは計算上明らかであるところ、同原告らが昭和三五年四月二一日にそれぞれ五三円と四七円を受領したことは当事者間に争がない。

従つて、同原告らには、最早や支給不足はないことが認められる。

(六)  以上のとおり、原告山本、原告米山、原告青木の三名については、減給処分に基いて、減額支給がなされたことが認められるから、その減額分の支払を求める同原告らの請求はいずれも失当である。

第三、結論

よつて、原告らの本訴請求はいずれも失当であるから全部棄却することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項但書を適用して主文のとおり判決する。

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